私はどう生きるか
「俺はどう生きたいのか」
不味くなったタバコを灰皿に捻じつけ、そんなことを思いながら部屋に戻る。
最近常に考えているこの”難題”は寝ても覚めても消化しきれずにいる。それは、いつ何時も私の頭を駆け巡り、腹を食い荒らし、飲み込めなくさせる。
大学に入る前は、自分の将来に一切の疑問も持たず、自分の人生に淡いもやが掛かっていたのを覚えている。「それなり」に勉強して、遊んで、就活して、「それなりに」良い企業に就職して、、、「それなり」の生活をして、、、、。
「それなり」ってなんだ?
俺は一体何を目指しているんだ?
俺は将来なにをしたいんだ?
自分の生き方について考え始めたのは、このふとした瞬間の自分の将来に対する「不安」だった。
適当に就活して、適当な企業に入って、適当に働いて、適当なお金を、適当に消費する。案外悪くない生き方かもしれない。その道を進むのだって正解なのかもしれない。でも考えは止まらない。自分だけの「生き方」を探さずにはいられない。これを放棄して、あの結論に行き着く自分が怖いのだ。その決断をしたときの自分を許せなくなる気がするのである。
計画なんてない。夢も希望もない。でも野望はある。本来間違っている選択をとっても私は自分の生き方に「価値」を見出したい。自己中心的な考えでいいじゃないか。自分の人生を自分の好きなように生きてなにが悪い。
こんな大層な口を叩けるほど、口は達者な私だが、自分のやりたいことは見つかっていない。自分がどう生きたいのかも分からない。そう、今まさに人生の道に迷っている。
正直、これを読んだ人が居たなら鼻で笑っただろう。
なにが言いたいんだと。
なにを言っているのだと。
所詮口先だけの愚か者だと。
夢だけ語ってもなんの意味もないと。
その通りである。今はそれでいい。私自身が思っていることだから。でもこのままではいられないのは確かである。私の人生が後悔で埋まる前に、挑戦と失敗は経験しておきたいのだ。私は「後悔」が最も嫌いなのだ。私は人生においてそれだけは味わいたくないのだ。
「私はどう生きるか、どう生きたいか」
これを今後の人生のテーマにしようと思う。自分の生き方に疑問を持ったとき、このテーマは私の中で大いなる助けとなり、現状を顧みるきっかけを与えてくれることを信じて、私は今日も生き方の道草を食うのである。